おかまいなしな猫

masamayu2006-05-20

もともとは深大寺のペット霊園で、お彼岸にやっていた(今もやってるのかな?)里親探しコーナーで出会った。成猫が多い中、子猫が兄弟で一緒にケージに入っていたのが目立っていた。兄は白地に茶ブチ長毛種のモデル系美猫、弟は普通の茶トラ猫だった。少し前に茶トラを半年間の闘病の末猫エイズで亡くしていたので、同じ雰囲気は逆につらかったし、長毛猫を飼ったことがなかったので、そちらに興味が湧いた。単純に顔がかわいくて、というのもあったかもしれない。保護者と直接やりとりして、私が連れて帰ることになった。保護者とはいっても、かわいがっていた野良猫が赤ちゃん産んじゃって困ったなーと今まで面倒をみてあげていた、ということだったらしい。なので正確な誕生日はわからない。一応引き取った段階で5ヶ月くらい、と言われたので遡って、98年11月1日を誕生日にした。帰り道、バスに揺られながらおとなしく紙箱に入っていたので、覗き穴から覗いたら、パンチが返ってきた。おとなしかったのは緊張していたからだった、らしい。

前の茶トラが4歳半という若さで逝ってしまったので、とにかく長生きしてほしい、そんな思いでつけた名前は「百太郎」と書いて「ももたろう」。百才まで生きて欲しくて。もんも、と呼んでいた。「悶茂」とか書いては腹を抱えたり。よく食べ、とてものんびりした猫だった。子猫のうちから老猫のように窓辺でひなたぼっこしながらくつろぐのが好きだった。まんまるな琥珀色の瞳と耳からぴょこんと出たカールした毛と肉球からはみ出た毛(ブレーキがかかりにくく、よく滑っていた)がチャームポイントで、ある意味白痴美、もちろん実際もちょっと弱い感じ。

1ヶ月後に大阪からやってきた黒猫は正反対の性格で、良くも悪くも頭がいい。運動神経もバツグン。とうぜんやらかす悪戯もハンパない。そして極度の人見知り。白ソックスの黒猫だったので、「クロマティ」と名付けた。もちろん普段の呼び名はそのままでなく、「くー」と呼んでいた。病院の診察券にクロマティと書くのが恥ずかしかったので結局くーと書いてしまった。突然知らない家に連れてこられてぎゃーぎゃー騒ぐ彼に、もんもはゆうぜんと全くおかまいなしに座っていた。くーが走り回っていても、そこがお気に入りのひなただったらどっこいしょと香箱座り。全くおかまいなし。でもかえってそのマイペースさがよかったのか、くーはそのうちもんもべったりになっていった。抱き合って眠る黒と白。

洋猫の血を引くもんもはあっという間に巨猫になり、おデブで去勢をした猫がかかりやすい膀胱炎になったり熱を出したり、見かけに寄らずけっこう病院のお世話になった。それでも三歳を過ぎた頃からは特に問題もなく、すっかり病院にも行かなくなっていた。

私たちは、一人暮らしの時代は川の字で寝、オットが家にやってきてからはオット起床後にくーがふすまをすーと開けて入ってきてもんもが後に続く。もんもは巨体のくせに戸を開ける技術を持っていない。そして先にくーが私の左脇に入ってきてポジショニングをとっても、結局もんもが後から入ってきておかまいなしにくーの上にどっかり居座って私の二の腕に頭をのせる。くーは仕方なしに後ずさりして2匹で縦列駐車のように落ち着き、そして私は二度寝、というのが毎朝の定番だった。最後にもんもをかかえて眠ったのはid:masamayu:20041016の出産前日だったかな。

こののんびりしたおおざっぱなO型的性格のもんもには本当に癒された。精神的につらいとき、しかとダッコしているとすごく不思議な効果があって、心がほぐれた。私たちフウフはこれを「癒し汁が出てる」と呼んで、つらいときはお世話になった。ふあふあの長毛はなでているとホントに気持ちがよいし、ぽにゃぽにゃのおなかに顔を埋めるのは至福だった。

反面、野生を残しているのはもんもの方だった。虫が飛んでいると夢中で追いかけ、ゴキブリ捕獲も得意としていた。古い一軒家なので、そういうものには事欠かなかったし、ネズミのおもちゃに夢中になるのも、普段すばしこいくーよりももんもだった。見かけは外人風なのに、食の好みはかなり和風だった。空豆、さつまいも、海苔などに目がない。ほかは普通にチーズやアイスなど乳製品も好きだった。

子供が生まれるまでは本当にべったりだったのに、生まれた後は少し距離があった。どうしても子供中心になっちゃった。それに対してくーはぎゃんぎゃん抗議したけど、もんもはおかまいなしだった。ときどきぎゅーっと抱きしめてあげるとうるさいほどぐふぐふ咽を鳴らして喜んでいた。マオに対しても、本当なら私の愛情を奪ったライバルなのに(実際くーは今でもそう思っている)、そんなことはおかまいなしにマオにもすり寄り、赤ん坊の加減のない愛情表現で痛いはずなのに、おかまいなし、全く逃げない。マオ自身も「もんもーもんもーにゃんこーねーこー」と駆け寄っていた。リビングや寝室ではなかなか私を独り占めできないことを理解して、私がトイレに入るとここぞとばかりに二階からだだだと駆け降りて来てトイレのドアを開け、もんもとくーで私の膝を奪い合った。しあわせ。

先々週、全身麻酔をして、根元が腐ってしまった牙を抜歯してついでに歯石もとってもらって、一週間後の検査のために、朝病院に連れて行く途中だった。いつもよりやたらと鳴くなぁ、でも道端でケージは開けられないなぁ、もう少しで病院だからちょっとガマンしてね、と思いつつ到着。診察券を出して長椅子に座りつつケージを膝においてのぞき込むと様子が変。抱きあがるとぐにゃりとしてちょっとびっくりした顔で目が最大に見開かれ、黒目でものすごくかわいい顔。変だということに気づき、あわてて診察室に飛び込むと、先生方が全員集合して挿管したり心電図?みたいのをつけられて心臓マッサージが始まる。点滴で強心剤も入れてるみたい。私は何がなんだかわからず、震えが止まらない。やっぱり麻酔の負担が大きすぎたんだろうかとか手術自体がすごくつらくて病院に向かうことがイヤで興奮してしまったんだろうかとかやっぱりワクチンと手術の間が近すぎたんじゃないだろうかとか(実際通常より短く1週間後に決行。でも腐った歯を放置しておく方が身体に負担をかけるので、先生の判断でこのように)、頭に渦巻く。もっと強い強心剤を注射しても反応はない。私は狂ったようにもんも、もんもと叫んだりべそべそ泣いたり優しく呼びかけたりなんとかして目を覚ましてもらおうとなでながら呼び続けた。10分から長くても20分以内に蘇生できないとほぼ無理らしいのだけど、結局40分以上心臓マッサージなどしてもらった。マッサージをするとその力で血が送りだされてなんとか脈拍120くらいまであがるのだけど、やめるとあっさり「0」になる。40分過ぎたところで、手を止めなくてもだんだん数字が落ちていき、とうとう0になってしまった。たぶん私がいいというまでやめないんだろうな、と思って勇気を振り絞って「すみません、ありがとうございました」とだけ言う。医師が時計を見て私に時刻を告げ、頭を下げる。ドラマと同じだ、なんて考える。でも次の瞬間、もうなんも出ないくらい泣きはらしたのにまたもやぶあーーーーと涙が溢れる。子供みたいに声を張り上げて泣く。本当にもう二度ともんもちゃんは「にゃっ」と短くハスキーボイスで鳴いてくれないんだ、すりすりしてくれないんだ、膝に飛び乗ってもくれないんだ。

あの今までみたことのないまんまるい黒目は、瞳孔が開いていたんだと後で気付く。勝手に興奮して、おかまいなしに、逝ってしまった。5月20日10:43AM、享年7才と約半年。ずっと梅雨のような天気が続いていたのに、今日に限って久しぶりに真っ青な空が顔を出し、穏やかな熱い風、じっとりとした湿気、突然激しく降る嵐のような夕立、その後はどうやら虹まで出たらしい、なんだかもんもそのものの天気だった一日。